北京興隆(シンロン)天文台訪問記

             2004年2月    第二装置開発班 金工室 河合利秀



 2003年11月20日、東アジア望遠鏡計画の関係で北京国家天文台を訪問したおりに、付属施設である興隆(シンロン)天文台を見ることができました。そこで、興隆天文台と東アジア望遠鏡計画を紹介しつつ、北京を見た感想などを書いたので気楽に読んでいただければと思います。

1、北京国家天文台

 空港を出ると、埃くさい空気がこの街の建設ラッシュの雑踏をいやがうえでも感じさせ、近代的な高層建築と自動車道路群に目を奪われる。かつて北京の街を覆っていたフートンはもうここにはない。
 塀に囲まれた大きな敷地はオリンピック競技場の工事現場であろうか?活気に満ちたそこは、職人達の競い合う熱気で輝いている。
 道路の混み具合はなかなかのものだ。車列の僅かな隙間にどんどん割り込んでいく。日本の交通事情になれた私たちは、タクシーの座席でハラハラしながらその行く手を見守るしかない。神風タクシーという言葉は死語であるが、北京では何と表現するのであろうか。
 北京の国家天文台はとても立派な建物である。玄関はそれほど広くないが2階に立派なロビーがあって、ゆったりとくつろげるようになっている。研究棟の作りは、居室と実験室が別になっていて、教授に個室が割り振られているようだ。
   
 どう言うわけか、トイレや洗面の衛生陶器は「TOTO」の文字が並んでいる。自動感応式の清潔な水洗トイレである。あとで気が付いたことだが、大学の研究室だけではなく、北京市内の大きな建物のトイレも概ね衛生的な水洗式に改善されている。10年ほど前に観光旅行で北京に来たとき、公衆トイレは「厠」と表示されていて不衛生なものが多かったことを考えると、オリンピックを契機として短期間に市民の公衆衛生の意識改善された状況は、日本の高度経済成長期を彷彿とさせる。

写真1、北京天文台の研究棟正面玄関図1、中国西域の地図と望遠鏡設置候補地写真

2、東アジア望遠鏡計画

 東アジア望遠鏡というのは、日中を中心としたアジア諸国の力で、中国に2〜3mの天体望遠鏡施設を作ろうというもので、条件が整備されれば、次には5mクラスの中規模望遠鏡を作り、最終的には20〜30m級の巨大地上望遠鏡をもつ、ハワイ・マウナケアに匹敵するような大天文観測基地に発展させようという壮大な夢のある計画である。
 天体望遠鏡で重要なのは光学系、架台、観測装置の三つであるが、その何れもが、名古屋大学のZ研が解答を用意しようとしている今なら、日本は恥ずかしくない貢献ができると考えている。
 栗田式架台(経緯台)は2003年春の天文学会で概略を報告し、すでに運動性能を確認するところまで来ている。
光学系は、干渉計を使った鏡の評価を、研磨機械に取り付けて加工している環境で実現しつつあり、リアルスケールの実証に道を開きつつある。
 観測装置はTRISPECが一応の完成を見ている。TRISPECとは、Z研(光赤外線天文学研究室)が開発している観測装置の一つである。技術部の技術研究会でも紹介したのでご存じの方もあると思うが、当初の目的であった「すばる望遠鏡」への取り付けは時期を逸して不可能となったものの、様々な問題点を克服し、ようやく本格的な観測に耐える装置となったところである。東アジア望遠鏡の専用観測装置第一号として大いに活躍できる。
 現在、この計画は、シーイング調査にさしかかっている。
                    中国西域には天文観測に最適なところがある。図1の○で示した領域は標高4000m以上の高原が連なり、年間降雨量も少なく、水蒸気による赤外線の吸収が極めて少ない。このような場所を何ヶ所か選び、シーイングを自動観測する装置を設置して、1〜2年間データを蓄積し、最も条件の良いところを探すのである。

 シーイングとは、空気の揺らぎによって点光源である星の光がどれだけ広がっているかを星の光の拡散角度で表したもので、大気の乱れが少ないほどシーイングが良い。我々は中国西域にハワイのマウナケア山頂に負けないシーイングの良い場所があることを期待しているのだ。
 2003年の夏、こうした目的で、中国の研究グループが第一回目の西域調査を行ったので、その様子を聴いた。
トルファン出身でタジク人の研究者であるエルガンさんは、西方の文化や食べ物、風物について色々話してくれた。そこで、最初の夕食は西方の伝統的な食べ物を紹介してくれるレストランに行き、民族音楽と踊りを楽しむことができた。
そこで民族楽器を演奏していたのはエルガンさんの友人であった。タジク人は顔つきが中国人と全く異なり、トルコ系〜西欧系に近い。踊っていた女性の容姿もどことなく西欧的である。
 峠を越えればアフガニスタンやタジキスタンなので、イスラム原理主義者などのテロ集団の活動や政情不安を心配する向きもあり、何とか安定してほしいものである。

3、興隆天文台

 三日目、北京郊外の興隆天文台を訪問した。北京から約200Km北東、標高900mの山頂にあるこの天文台に大小5基のドームが立ち並び、新たに建設中のものもあって、活気に満ちている。以下に代表的な望遠鏡を紹介する。

写真2、興隆天文台2.16m望遠鏡写真3、1.2m赤外線望遠鏡

・2.16m望遠鏡

 主力望遠鏡は1985年竣工の2.16mの赤道儀である。この望遠鏡は巨大なドームの中に設置してあり、クーデ焦点に3基の分光計を備えている。この望遠鏡は重厚長大の極みともいえる容貌で、現代の望遠鏡設計の考え方からすれば古めかしいものである。鏡筒はトラス構造になっていて、主鏡を納める主鏡セル、重心を支えるセンターセクション、副鏡を支えるトップリングの三つの構造物をトラスで結んでいる。トラスとは三角形の辺にあたるところをパイプとし結節点で結んで力学的に強い構造としたもので、近代的な望遠鏡の鏡筒はみな開放型のトラス構造が普通である。この望遠鏡は主鏡とトップリングの間がカバーで覆われている。これは埃を嫌ったためのものであろうが、望遠鏡の基本性能であるシーイングを著しく悪化させるので最近では用いられない。同様に、外気が冷えたときにドーム内部の気温が同じにならないとシーイングが悪化するので、巨大なドームもこの望遠鏡にとってはあだとなっているようだ。

・1.2m赤外線望遠鏡
 1.2m赤外線望遠鏡は上松に設置されていた1m赤外線望遠鏡とほぼ同じ構造となっている。副鏡が非常に小型であることが特徴で、古典的な赤外線望遠鏡では副鏡振動装置が必須であったことを考えると、小型の副鏡は振動の影響も少なくてすむので合理的な設計といえよう。しかし、この望遠鏡はあまり利用されていないらしく、副鏡のメッキがかなり悪くなっていた。ドーム一階の部屋は暖房されていたが、この望遠鏡が使われているならば部屋を冷やさなければならないので気にかかる。良い観測装置さえあれば、まだまだ現役で使えると思うと、実にもったいない。

・立地条件
 興隆天文台は北京からアクセスが良く、観測者の負担が小さいという条件で、シーイングもそれほど悪くないが、望遠鏡やドームの構造に問題があって、十分にその立地条件を生かしていないのではないか、というのが訪問した我々の共通の感想だ。北京も興隆も埃っぽい。乾燥した大地では、埃対策は必須であると思う。
 立地条件の良さや望遠鏡に改善の余地があることから、ここの望遠鏡を拠点として新しい観測装置を開発し、観測を行うことができれば、比較的少ない経費でそれなりの成果が得られる可能性がある。
 最近、大学の研究で感じるのは、研究費がどんどん多くなり、最新の装置を購入しなければ研究ができないという錯覚が蔓延しているのではないかと思う。別に最新の装置でなくても、独創的な発想やアイディア次第では立派な成果をあげることができるのではないだろうか。研究費が足らないといって悲観せず、少ない研究費で創意工夫をこらし世間をあっと言わせる研究をやろうと頑張るほうがよっぽど健全だと思う。わたしたち技術職員はそのために存在するようなものである。
 中国にも同じ風がふいていることを、なんとなく感じる。

4、北京師範大学の人々を見て思うこと

 北京師範大学を訪れた。そこでの天文物理学の研究現場を見せてもらうことができた。ここでは珍しく実験室に工作機械が置いてあり、簡単な部品などは自分たちで作っているようだ。早速工作室を見せてもらうと、小型の卓上旋盤と理研タイプの万能フライス盤、ボール盤、鋸盤が置かれている。
 ドリルの刃はどれも傷んでいて、鋼材に穴をあけることはできないだろう。フライス盤用の刃物であるエンドミルは三枚歯でねじれ角の比較的大きなものが置いてあったが、鋼材の質が落ちるようで、刃先の損傷が大きい。このような刃物では繊細な加工は望めないであろう。しかし、刃物さえきちんと管理できれば、数ミクロン程度の加工精度を得ることは十分可能である。
 この研究室ではフィルターを自作・販売していた。特定波長域の照度計も研究者が一人で作っているようだ。中国にこうした測定機を自作する研究者がいることを始めて知った。大学の研究をベンチャー企業化することはおおいに奨励されているようで、我々の訪問中も商談のベルが鳴っていた。
 ここで作っているフィルターは、素材となるガラスを切断し、断面を光学研摩したものである。研摩盤も見せてもらったが、研摩は熟練を要する作業だ。よくぞこれだけの設備で作っていると感心した。

写真4、師範大学のフライス盤写真5、フィルター用研磨盤を見学する

 実は、中国には金工室のような設備も人材も手薄である。以前は天文台にも組織されていたようだが、給与水準の格差が大きいために魅力のない職種とみなされて、優秀な人材は離れ、弱体化していったようだ。中国の研究者は工作を引き受けてくれる企業に図面を出して作ってもらっているようだが、その関係も必ずしもうまく行っているとは思えない。有人宇宙飛行などの国家的な大プロジェクトには人材を注ぎ込んでも、底辺を支える研究には十分に光がさしていないと感じる。こうした環境であればこそ、金工室のような組織が必要であることを、あらためて思った。

5、天文台を維持する技術

 天文台の天体望遠鏡が力を発揮するためには、望遠鏡や観測装置のことを100%知り尽くした技術部隊の存在が不可欠である。もし事故や故障が発生したとき、よく訓練された技術部隊があれば、直ちに最良の対応が可能であり、新たな観測計画に対しても技術の側面から大いに貢献できるであろう。そして彼らの創意工夫によって望遠鏡が常に新しい観測に対応できることが、良い天文台の条件である。このことはIRSF(南アフリカ望遠鏡)の製作で確信した。
 技術報告Vol.11、P-54〜で紹介したように、南アフリカ天文台のサザーランド観測所の技術スタッフはとても良い見本である。ところが、日本をはじめアジアの天文台の多くは、有名メーカーの望遠鏡や観測装置を購入している。購入品ではノウハウの蓄積がなされず、故障の修理に多くの時間が必要なことや、改造が不可能なことも多い。
技術スタッフ不在の悪条件下で日夜奮闘されている先生方には言いにくいことであるが、こうしたことは、アジア地域の大学や研究機関共通の問題である。
 日本においても、こうした傾向は最近顕著になっている。例えば、大学法人化や研究機関の独立行政法人化は、日本の高等教育機関や学術機関の経費を圧縮するために人員削減を不可避とする仕組みである。その結果、たださえも貧弱な技術職員層が大幅にリストラされるのは必至であろう。また、日本の科学技術基本計画では「高度な科学技術の維持発展こそが未来への道筋」としているにも関わらず、そこで述べられているのは、学問や教育に経済効率や市場原理を導入して経費を軽減するための政策を羅列したにすぎない。これを実行すれば、技術を育てるのではなく、メーカー製品を購入する方向に押し流されるように思う。
 これは表面的なものしか見ない間違った方法ではあるまいか。大学の役割は研究成果を競うことだけではなく、人を育てることも重要だと思う。学生を育てるには環境を育てることも大切である。大学や研究機関を担う次の世代や技術を担う人材をきちんと育てることにこそ、国民の税金を使う意義があるのだと思う。
 東アジア望遠鏡計画に関連し、次のようなことを感じた。
 科学技術を支える広い範囲の人材を育て、底辺を拡大してこそ高い城も築けるというものだ。新しい世紀はアジアのものだという。経済的にも学術的にも、大いにアジアの力をのばし、米国、欧州と並ぶ勢力になることを目指そうというマハティールの主張は大いに共感できる。
 今回の東アジア望遠鏡計画は、このようなところにも光をあて、自力での望遠鏡建設や維持、観測装置の開発を行えるようにしたいものだ。そのためには、単に天文台の技術スタッフの育成に留まらず、地域に存在する「ものづくり集団」(中国西域にあるかどうかはよく分からないが・・・)との連携も育てていくことが必要であろう。地域全体で支援してもらえる環境を整備しないことには、天文観測基地を維持することはおろか、2〜3mの望遠鏡を作るという最初の目的すら達成できないであろう。東アジア望遠鏡計画では、適切な場所を探し当てることは当然だが、南アフリカ天文台に匹敵するような強力な技術支援部隊を作り上げ、アジア諸国の「もの作り」が天文学と連携できるようなことを目指してもらいたい。

6、結び・・・日本の貢献

 日本はバブル崩壊の経済危機から立ち直れないでいる。しかも今出されている「構造改革」政策は、過去の失敗の責任を反故にして新たに壮大な「ツケ」を次世代に負担させようと言う最悪のものだ。こうした状況で、優秀な「もの作り」の技能は急速に失われ、衰えている。先端技術の多くは60歳を超えた職人の「技」に依拠している。それらの名人芸を継承する人材はほとんどいない。このままでは、日本が「もの作り大国」と呼ばれる時間はもうすぐなくなってしまう。今、我々が享受している「もの作り大国」日本は、蝋燭の最後の輝きにも似ている。
 今ならまだ日本がアジアに貢献できる可能性がある。それは、これまで培ってきた「もの作り」の精神をアジア各国の若い人々に伝えることである。
 この機会に、東アジア望遠鏡計画で若い技術者を育てる仕事がしたいものだ。自衛隊とはちがった意味で、西方浄土に骨を埋めるのも極楽かもしれない。


  1. 河合のページ
  2. 金工室の仕事の紹介


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