SAAO(南アフリカ天文台)の技術職員

このページは「理学部技術報告、2001年」に記載したものに写真を加えて編集したものです。
        名古屋大学 理学部理学研究科 技術部 研究機器開発班 物理金工室 河合利秀





はじめに



 私たちが取組んだ「南アフリカ」望遠鏡は無事完成し、南アフリカ・サザーランド天文台において2000年11月15日竣工式を迎えることができた。

全員でドームの前で記念撮影

 専用の観測装置も順調に機能し、この報告が皆さんの手元に届くころには、たくさんの魅力的な画像(赤外線)を提供していること思う。
 本文は、この望遠鏡を完成させるにあたって、大いに協力していただいたSAAOの技術職員の皆さんを紹介する。私の滞在期間はたかだか40日足らずだったが、私の感じた印象と、彼らとの情報交換によって知ることのできたことをここにまとめ、彼らの労に報いたい。



1、SAAO(南アフリカ天文台)サザーランド天文台



 南アフリカ・サザーランド天文台は、アフリカ大陸の南端から300km北、ケープタウンから北東350kmに位置し、大カルー高原の標高1700m、サザーランド村からさらに20kmほど東、茫漠たる岩山と草原からなる丘陵地帯の、ひときわ高い丘の上にある。天文台の周辺は動物保護区となっていて、スプリングボックなどの野生の動物たちが草をはむ。

草を食むスプリングボック 地平線をすれすれに回る南十字星

 晴天率は冬と夏の季節差があまりない。大陸にかなり入り込んでいるので、赤外線観測では有害な水蒸気の影響が適度に軽減される。シーイング(大気のゆらぎによって光路が歪められ、望遠鏡焦点面の星像が揺らぐ状態を表し、一定時間での星像の広がりの角度で表す)や晴天率ではチリのラスカンパラスと比べると見劣りするが、電気設備やの立地条件も良い。
 現地に行って驚いたのだが、南の地平線すれすれの天体がほとんど減光せずに見えるため、双眼鏡で星を追っていると、突然地平線に没していくように見える。このことは、サザーランドの空気がいかに透明であるかを物語っている。1.4m程度の小型望遠鏡によって南の込み入った星空をくまなく観測するにはもってこいの場所といえる。
 サザーランド天文台には1.9m赤道儀、1m赤道儀(写真4)、75cm赤道儀、太陽望遠鏡などの観測施設があって、今も分光観測など第一線の研究が行われている。SALTという、直径10mの分光専用望遠鏡を作る計画も国際共同研究として推進されている。
 こうした立地条件とあわせて、SAAOにはもう一つ素晴らしいものがある。それは、天文台を支える技術組織である。

サザーランドのドーム群



2、南アフリカ共和国というところ



 ご存知のように、南アフリカはアパルトヘイトを撤廃し、黒人にも参政権が与えられた8年年前の選挙で、国民はANC(アフリカ民族解放戦線)のマンデラ議長を大統領に選んだ。以後、南アフリカ国民はマンデラ大統領の指導のもと、黒人白人の差別のない新しい国家建設を目指し、今は二代目のムベキ大統領に引き継がれている。政権から退いた後も、マンデラ氏はテレビに度々登場し、全ての民族の融和を訴えかけている。そして彼の人気は未だに衰えを知らない。
 アフリカの大地に悠久の時を刻んだ人類は大地の恵みを受け、様々な種族の黒人が海岸部を中心に住んでいた。南アフリカの歴史は、大航海時代に始まった白人の侵略によって暗転した。かつて黒人のものだった恵み多い土地はボーア人(オランダ系農民)が奪った。多くの黒人は不毛の内陸部へと移らざるをえなかったた。ホッテントットとかブッシュマンという呼び名は心ならずも不毛の地で暮らさざるをえなくなった黒人たちを軽蔑した呼称で、本来はコイ族、サン族といった人々である。
 しかし、悲劇はさらに続く。ボーア人が支配した土地は、やがてオランダを破ったイギリス人が奪った。そこを追われたボーア人は、黒人が移った内陸へ羊とともに侵入した。こうして、黒人たちは二度にわたって住む土地を奪われ、アフリカ大陸のほとんどの土地は白人の手に握られた。
 黒人たちは仕方なく、放牧もできないような不毛な土地に逃げ込むか、あるいは白人の経営する農場や鉱山で奴隷のように安い労働力として使われることになった。時間が経つと、農園経営に失敗したボーア人達が黒人に混じって街で物乞いをするようになった。アパルトヘイトはこうした落ちぶれた白人を救うための白人優位の政策として始まり、第2次世界大戦後エスカレートして、黒人を狭い居留地に押し込めたり、白人純血を守るための婚姻制限など、徹底した隔離政策を取るようになった。
 アパルトヘイトに反対して、全ての人種が平等であるというスローガンのもとにANCが結成され、その議長にマンデラ氏が就任した。アパルトヘイトの徹底ぶりや、アパルトヘイトに反対する人々の運動は映画「遠い夜明け」などによって見ることができる。
 マンデラ氏の政策はインドを開放したガンジーの「無抵抗主義」と共通の思想的基板をもっている。この穏健な改革路線は、白人の人道主義者や理想主義者や良心的知識人階層も取込み、世界中の支持を得た。最後の白人政権であったデクラーク政権は自らアパルトヘイト政策を廃止した。その後の経緯は先に述べた通りである。
 アパルトヘイト廃止とそれに続くマンデラ政権での諸改革によって黒人の人権は回復された。ソウェト(黒人居留地)はなくなり、あらゆる場所で黒人白人の区別はなくなった。就職差別もなくなり、街のカフェでは白人も黒人も一緒に仲良く働いている。しかし、それでも、経済基盤は白人が握ったままである。経済格差はそのまま教育の不均等となって、次世代に引き継がれていく。
 極貧層の人々は都市近郊にバラック作りのスラム街を形成する。そこではかつてのソウェト(黒人居留地)を彷彿とさせる異様な臭気が漂っている。失業率が20%を越えるこの国にあっては、生きるための最低限の糧をえるだけでも、大変なのである。
 こうした問題はサハラ砂漠から南側の国々で共通した特徴である。この地域はAIDS罹患率が20%を越え、国家の存亡すら脅かすほどの猛威である。ヨハネスブルグやケープタウンといった大都会には孤児たちが街頭に溢れている。彼らの多くはAIDS孤児である。かつての西欧諸国の収奪がこれらの国を未だに苦しめている。
 日本では、終戦後GHQによって農地改革が実施され、大地主の土地が小作人に分配された。南アフリカでは、このような急速な変革は行われない代わりに、基本的人権や生存権を全ての人種にわたって保障するという憲法改正を行ない、黒人を優先的に雇用するなどの緩やかな改善を実施することによって、緩やかに経済格差を緩和しようとしている。
 南アフリカ共和国の人々には、民族融合の社会を築こうという大きな希望がある。それは時間のかかる長い道のりであるにもかかわらず、非暴力によって成し遂げられることが、彼らの誇りである。



3、魅力的なSAAOサザーランドの人々



 サザーランドには、観測者用の宿泊施設や現地の技術スタッフ用の作業施設と宿舎がある。ここの運営はサザーランド村の村長も兼ねる人が担当していて、食事の世話から洗濯・宿舎の掃除まで、あらゆる面で観測所を訪れた我々を助けてくれた。
 食事は三食すべてここで用意してくれる。サザーランド在住の人達が中心となっていて、いろいろな郷土料理を作ってくれる。これらのまかないのおばさん達はみなさん立派な体格で、ビッグママと形容したくなるような、とても愛想のよい、チャーミングな人々だ。
 ピート・フーリエ氏を筆頭に、技術を担当している現地スタッフは誰もみなとてもフレンドリーだ。ピートさんは毎日のように私たちのドームを訪ねてきてくれて、何でも気軽に相談に乗ってくれる。
 ドームの壁に設けたルーバー(空気取り入れ用の開閉式シャッター)から水が漏れたとき、その対策の柔軟な対応に私は感心した。観測者(ユーザー)の意見をよく聞いて、最善を尽くそうという誠意が感じられる。このような人々によって維持されているからこそ、SAAOの古い望遠鏡(1.9m赤道儀など)も第一線で活躍できるのだと思う。サザーランドの技術スタッフは、不自由な資材等の調達や、不充分な設備をものともせず、創意工夫によって現地の観測者をよく助けているのである。


今も活躍している1.9m赤道儀

 現地スタッフは主に外回りの維持、インフラの維持を任務としている。現地スタッフを支援する意味で、ケープタウンから毎週交代で機械と電気の専門の技術者がサザーランドに来ている。SALT計画もあり、今後技術スタッフの往来は益々盛んになることと思う。サザーランドとケープタウンの技術スタッフの協力関係はあとで詳しく述べる。
 サザーランド天文台を見ると、実にうらやましい。日本の大学や研究所にはない技術者を大切にする姿勢がよく見える。研究者と技術者の関係も良好である。今回の誘致を中心になって支援してくれたイアン・グラスさんはじめ、研究者のピートさんに対する信頼は大した物である。「わからないことは何でもピートに聞け!」というのが彼らの口癖であった。このように言われるのは、ピートさんを始めとする技術スタッフがよほど信頼されているからであろう。SALT計画においても、若い技術スタッフの育成をしっかりと位置付けている。SAAO首脳陣は技術スタッフの重要性をよく理解されていると思う。
 もしも日本の研究現場でSAAOのように技術スタッフが大切にされているならば、日本の科学技術の方向も少し違った局面を迎えているのではないかと思う。
 日本における技術者や職人さんに対する評価は高くない。「物作り日本」と言いながら、実際に物作りに携わっている人々は生産現場で苦しんでいる。先端技術のもっとも重要な技術は人の手によるものであるにもかかわらず、それを担う町工場は3K職場云々といわれて若手の確保が困難な状況にある。
 高度経済成長は消費を美徳としたことで、物を捨てる大量消費社会となった。こうした社会では、物作りに敬意を払わない風潮が蔓延する。それが今や大学でも同様な状況である。技術職員そのものが定員削減で消滅しようとしているのだから。



4、技術者の資格



 南アフリカ天文台(SAAO)の技術組織がどうなっているかを、ピート・フーリエ氏及びジェフ・エヴァンス氏に問い合わせたところ、詳しく教えていただきました。
@エンジニア
 エンジニアは理工学学位を持っている技術者の呼称である。
 4年制大学においてBSc エンジニアリング(理工学士)学位を取得し、大学院で理学修士を取得する。MSc(マスターコース)では専門技術分野の基礎理論を理解していることを示すために、専門技術分野の研究あるいは専門技術分野を必要とするプロジェクトで成果をあげなければならない。専門技術分野における新しい革新的な研究やプロジェクトに取り組むことによって、理工学博士号を得ることができる。
Aテクニシャン
 テクニシャンはDiplomaの国家資格を持っている技術者の呼称である。
 Diploma国家資格を得るためには、Technikons (技術専門学校)において通常2年間、専門技術分野の研究を行ない、その間の1年間に訓練生として実務的な仕事に付く。これに1年の基礎技術と1年の実務を学ぶとBtechとなる。さらに追加研究(フルタイムの専門業務を1年、科学プロジェクトを1年)によってMTech 資格を得ることがでる。Mtechは大学学士とほぼ同じであるとみなされる。DTech 資格は新しい研究プロジェクトの仕事を必要とする。ケープタウンの技術者がサザーランドを訪問している理由はこれである。
Bアシスタントとステューデント
 ステューデントは大学の学生で、MScやDScを取得するためにSAAOで学んでいる人を意味する。  アシスタントは、実際に観測の手助けをしながら特定のタイプの仕事から様々なものを学んでいる学生であったり、あるいはテクニシャンになる正式の訓練を受けられなかった人である。
 SAAOは、訓練を受けられなかったこれらの人々を多く受け入れ、他の技術者とともに仕事をしている。彼らはここで働いている間に極めて多くのことを学んでいる。



5、エンジニアとテクニシャンの協力



 南アフリカでは、大学の学位を持たなければ、エンジニアと呼ぶことを許されなかった。しかしそれはここ数年で変化した。それはテクニシャンに学位を与えるコースが整備されたからである。
 電子・情報技術のような歴史の新しい技術分野はエンジニアとテクニシャンのみが存在する。
 SAAO における多くの新しい装置のデザインと開発の仕事はエンジニアとテクニシャン両方で行なっており、それらの仕事の内容や責任は同等である。
 このようなテクニシャンの中心にいるのがピートさんである。ピートさんはサザーランドでの電子情報技術の責任者となっている。彼は高校を卒業した後、技術者の国家資格を得るために高等専門学校 (Technical College) に通い、同時に、技術的な経験を積むため会社で働いた。彼は同時に高等専門学校の教師資格を持っていて、電子技術の講師をしていた。彼はUNISA通信大学で勉強し、そこで「 コンピュータサイエンスの国家資格」を得た。南アフリカの技術者養成システムは、年齢制限のない、実力本意の制度であり、向上心のある人に道を開いていることは特筆すべき優れた特徴といえる。
 SAAO の電子情報部門は、ケープタウンに5名のテクニシャン、サザーランドの2名のテクニシャンと1名のアシスタントによって構成されている。彼らの仕事は既存の装置を保守することと、新しい装置の設計・製作である。今も、プログラムのアップグレードを重ね、既存の望遠鏡を最良の状態で運転できるようにすること、そしてそれを何年もの間良い状態で維持するよう、努力を重ねているとのことである。こうした努力は高く評価され、ピートさんたちはSALT計画の重要な戦力として大いに期待されているであろう。



6、サザーランドとケープタウンの技術組織



 サザーランドの主要な建築と観測装置の設計はケープタウンのワークショップによって行われたが、最近の建物や観測装置はサザーランド とケープタウンのワークショップ両方が協力して行なうようになっている。
 SAAOの本体機構がケープタウンにあるため、専門的なスタッフの大部分はそこにいる。そのために、大勢の技術職員をサザーランドに配置することは難しいようだ。しかし、新しい計画、SALTが本格的に始動すれば、メインワークショップをサザーランドに移すことも考えられる。ケープタウンのワークショップには、基本的な工作機械がゆったりとした配置で並んでおり、天井も高い。

通路を広く取った工作室 整然と並んだ工作机

 ここでは天井走行クレーンが目に付く。SAAOのほとんどの観測装置はこの工作室で作られた。
 ケープタウンの技術職員は、望遠鏡の作動状態を確認するために、機械工作技術と電子情報技術各1名ずつ、通常の業務としてサザーランドにやってくる。彼らは一週間交代で月曜日の定期便(SAAO専用)でサザーランドとケープタウンを往復している。彼らはサザーランド赴任期間は24時間体制でサザーランド在住の技術者を支援する。さらには、予備システムの整備や準備、特定の大きな仕事、新しい装置の据え付けなどに、彼らは立ち会わなくてはならない。
 サザーランドの技術者は、テクニシャンを中心にした組織である。サザーランドでは物資の調達も迅速にはいかない。ケープタウンとの定期便で乗せてもらえるように、頼んでおかなくてはならない。このように地勢的には圧倒的に不便であるにも関わらず、彼らは柔軟な姿勢と豊かな発想によって研究者の要望によく応えている。はサザーランドのワークショップである。古い旋盤が一台置いてあったが、これは船舶に乗せられていたものを改造したものである。私はこうした機械が今も大切に整備されて、現役稼動できる状態にあることに、大きな感動を覚えた。南アフリカの人々の、機械に対する考え方を垣間見るとともに、日本では忘れがちな、物を大切にする姿勢が新鮮であった。

サザーランドの船舶用旋盤



まとめ



謝辞


 この報告で掲載した写真1及び写真8は加藤大輔氏、写真2及び写真5は河合辰王氏の撮影によるものです。また、Pieter Fourie氏は質問に丁寧に答えて下さり、技術組織についての情報を提供していただきました。長田哲也先生にはPieter Fourie氏に対する私の拙い英文を添削していただきました。
 紙上を借りてお礼申し上げます。

関連サイト



ご意見、質問等はkawai@ufp.phys.nagoya-u.ac.jpまでお願いします。

このページの先頭に戻ります。