重い電子系物理と高圧技術

                      理学研究科物質理学専攻(物理) 佐 藤 憲 昭

§1.はじめに
  私が本専攻に着任して1年になります。新生M研として新しい研究室をたちあげるにあたり、
技術部の方々には多大なご協力を頂き、お陰様で成果を論文として発表できる所までこぎ着けまし
た。とりわけ、液体ヘリウムの供給をしていただいております黒川氏、高圧セルの設計・製作をし
ていただいております井上氏には相当な無理をも聞いていただき、この場をお借りしてお礼を申し
述べたいと思います。
  さて、10年近く前になりますが、オランダのライデンという町にある低温物理学の研究所を
訪れたことがあります。ライデンの低温物理研究所といえば、低温物理学の発祥の地と言っても過
言ではありません。カメリン・オンネス率いるグループが歴史上始めて液体ヘリウムの液化に成功
を収め、それを利用して超伝導を発見したことはあまりにも有名です。研究所を訪れますと、彼ら
が実験に使った液化装置などが今でも残され展示されています。壁には写真の入った額縁が二つ飾っ
てあります。その内の1枚はもちろんカメリン・オンネスのものですが、もう1枚はテクニシャン
のものだそうです。彼らに言わせれば、カメリン・オンネス1人ではあのような偉業は達成できな
かったであろう、それが実現したのは優秀なテクニシャンの支えがあったからで、カメリン・オン
ネスに匹敵する重要な人物である、と。全くその通りだと感心したことを記憶しております。その
伝統を守ってか、ライデン大学には、今でも(当時でも、といった方が正確)テクニシャンを養成
するコースがあるようです。残念ながら現在の日本の大学では定員削減のあおりを受け技術職の方
達の数がかなり減ってきており、日本の大学の将来にとってかなりのダメージになるのではないか
と危惧しています。
  しっかりした技術基盤の上に基礎科学が築き上げられている、ということは、上の例を見るま
でもなく、私たち実験家は日常的に経験しています。本稿では、重い電子系物理学という基礎科学
の一分野をご紹介し、また、それと高圧技術との関連を述べてみたいと思います。

§2.物性物理って何?
  カメリン・オンネス等が発見した超伝導現象は今では広く知られていますが、物性物理学とい
う学問自体については、まだまだ知られていないことが多いように思われます。白川先生がノーベ
ル化学賞を受賞されたのを機に、物性物理学あるいは物性科学とはいかなるものであるかが、広く
社会に知られるようになることを期待しています。(本拙稿もその意図をもって書いております。)
  白川先生の開発された導電性ポリマーも通常の金属と同じように金属光沢を持っていることを、
テレビの対談番組を見て知りました。絶縁体(電流を通さない物質)の代表例であるガラスは光を
通しますが、電気を通す金属は光を反射します。(この反射された光を私達は「金属光沢」として
認識しています。)光を通すことと電流を流すこととは関係しているのでしょうか?答えはイェス
です。物性物理学における基礎的概念である「バンド理論」を使うと、自然にこれらのことが理解
されます。ニュートンが林檎が木から落ちるのも月が地球の周りを回るのも同じことであると認識
したように、物性物理学を知れば、ガラスが光を通すことと電流を流さないこととは、同じことの
違う側面をみているだけなのだと気がつくでしょう。
  私たちを取り囲んでいる物質の種類は無限と言えるほど豊富です。私たち人間の体内を流れる
真っ赤な血液や無色透明の水、肉眼では見えない空気、多くの人を魅了するダイヤモンドや黄金色
をした金など、数え上げればきりがありません。しかし、これらの如何なる物質も元素まで分解す
れば、高々90種程度に過ぎません。つまり、限られた種類の元素の組み合わせや結晶構造を変え
るだけで、これほど多様な世界が現れるのです。グラファイトとダイヤモンドは燃やしてしまえば
どちらも炭になってしまいますが、(ダイヤモンドを実際に燃やしてみた人がいるかどうかは知り
ませんが。)その堅さの違いは結晶構造に依存しています。現代の物性物理学は、血液中のヘモグ
ロビンが何故磁石のように振る舞うのか(「磁石」を肩に貼ると血行が良くなり肩こりに効くとう
たっている商品がありますが、その真偽を私は知りません。)、ダイヤモンドは何故硬いのか、あ
るいは、シリコン等の半導体材料の示す電気的特性についても非常に良く説明できます。現代の
IT社会は、実はこうした物性物理学という基礎科学の成果の上に成り立っているのです。ここで
先ほどの白川先生の話に戻りますと、先生の研究の出発点はやはり好奇心であったろうと推察しま
す。初めから導電性ポリマーを携帯電話へ応用しようと思って研究を始めたわけではないでしょう。
(70年代には未だ携帯電話なるものはなかった。)この導電性ポリマーの研究の流れは、物質科
学の理想的な在りようを示しているように思われます。まず初めに好奇心があり、応用へと繋がり、
社会に還元される。このように、私たちにとって身近な物性科学の成果を多くの方に知っていただ
きたいと思っております。また、そのようにしていくのが私達のつとめでもあるわけです。

§3.重い電子系の物理とは?
  現在の物性物理学は可成りの所まで進化していると書きましたが、では、最早進歩の余地はな
いのでしょうか?答えはノーです。実際、既存の物性物理学の概念では説明できない現象が、今で
も次々と発見されています。このような新奇な現象または物質を探し求めることが私たちに科せら
れた役目です。19世紀までの古典物理の枠組みでは理解の出来ない現象を解明しようとして、20
世紀初頭、量子力学が誕生したわけです。同じように、これまでの物性物理学の概念で理解できな
い現象が見つかれば、そこに新しい物理学の誕生の可能性が期待できるわけです。「重い電子系」
と名付けられた物質群も実に不思議な現象を示します。
  重い電子系の物理は、従来のカテゴリーで言えば、磁性物理学と低温物理学、さらには半導体
物理学、金属物理学を含めたものに相当します。結局は全てを包含しており、従来の分類は意味を
為していません。1970年代後半、極めて奇妙な現象を示す物質が相次いで発見されました。その
筆頭は、1979年に発見されたCeCu2Si2という化合物の超伝導です。CeCu2Si2が超伝導を示すと
いうのはあまりにも予想外だったため、超伝導研究グループのソサエティーから無視されたりもし
たそうです。超伝導は、1950年代半ばに生まれたBCS理論によって解決されたと思われていまし
た。超伝導が生じるためには、伝導電子(金属中で電流を運ぶ電子)の間に引力が働かないといけ
ません。しかし次に説明するように、CeCu2Si2の中で超伝導電流を運んでいる電子間には極めて
大きな斥力が作用しているのです。従って、この大きな斥力に打ち勝って引力が働くということは、
当時の(一部の)物理学者の理解を超えたものだったのです。
  ここで、重い電子といわれる所以を説明しましょう。CeCu2Si2に代表される希土類化合物の
磁性は、4f電子と名付けられた電子によって担われています。それまでの磁性物理学の「常識」
では、4f電子は原子の奥深いところにいて周囲の影響を受けないと思われていました。新しい物
質・現象は常に「常識」を破ります。大きな研究の流れの中で新しい物質が次々と発見され、原子
の奥深い所にいると思われていた4f電子は、ある条件の下では、つまりある種の物質では、トン
ネル効果を利用して周囲を取り囲む原子上に移動することが解りました。もう少し厳密な言い方を
すれば、4f電子の波動関数は、周囲の原子の波動関数とごく僅かではありますが重なりを持つこ
とが出来るため、結晶中を動き回ることが出来るようになるのです。動き回るとは言っても、4f
電子は殆どの時間を原子内の狭い空間の中で過ごすので、4f電子間には大きな原子内クーロン反
発力が働きます。自然界はエネルギーの低い状態を好みますから、4f電子もクーロンエネルギー
を上げないよう互いに避けあって運動します。これは、人混みの中ではなかなか前に進めない状況
と似ています。進みにくい、あるいは、動きにくいということを、「質量が大きく重い」と表現し
ているわけです。中年太り気味の私が、動作が緩慢で動きにくくなっているのと同じようなもので
す。しかも、CeCu2Si2の4f電子の質量は、銅の中の伝導電子の質量に比べ千倍も大きいのです。
言い換えれば、千倍も大きな反発力が働いているのです。このような物質で超伝導が現れるなんて
誰も想像だにしなかったのは、容易に理解できます。発見以来20年の間、CeCu2Si2が何故超伝導
になるのか色々なアイディアが出されていますが、誰もが納得する答えは未だ得られておりません。
(結晶の質が良くなったために今まで隠されていた現象が見えてきたということが、20年を経た
現在でも報告されています。)

§4.高圧技術
  ほんの数カ月前、大発見がなされました。常圧(大気圧)では強磁性体であるのに高圧をかけ
ると超伝導になる物質、UGe2 、が発見されたのです。「超伝導になる強磁性体」を探索する試み
はこれまでいくつも為されてきましたが、実際に目の当たりにするとは思ってもいませんでした。
強磁性体は磁石ですから周囲に磁場を作り出し、一方、超伝導は磁場をかけると通常壊れますので、
上の発見もまた極めて異常でした。私たちも本当にそんなことが起こるのだろうかと疑いながら試
してみたところ、本当に起こるのです。これは単なる追試ですが、実は、この追試をやることすら
難しいのです。なぜなら、良質の単結晶が育成できることが第一の条件でして(よほど質が良くな
いと超伝導にならない)、これを実現できるところは、国内的にも世界的にもごく限られたグルー
プだけなのです。このような新しい現象は新しい物理の発見を予感させるものであり、重い電子系
がエキサイティングでアクティブな研究分野であることをお分かり頂けたかと思います。
  では、圧力が重い電子系にどのような効果をもたらすかを考えてみましょう。物質に圧力をか
ければ縮みます。ミクロに見ると、隣り合う原子間の距離が小さくなります。先ほど、4f電子の
波動関数はほんのわずか周囲の原子の波動関数と重なりを持っていて、トンネル効果により動き出
すと言いました。このような系に外から圧力をかけて無理やり原子間距離を縮めると、この波動関
数の重なり具合も変わります。もともとほんの僅かだけ重なっていたところに圧力をかけるわけで
すから、劇的な変化が起こります。例えば、SmSという物質(これも私たちの研究室のテーマの
一つです。)は、常圧では絶縁体で黒色をしていますが、圧力をかけると金色に変わり金属になり
ます。これなどは、絶縁体ー金属転移を視覚的に直感できる好例です。この転移のメカニズムにつ
いて今まで色々のアイディアが提案されてきましたが、本当の所は良く解っていません。実験家の
立場からすれば、「出来ることは全てやり尽くした、もうやれることはない、お手上げだ」といっ
た感じでしょうか。しかし、近年の高圧実験技術の進歩には目覚ましいものがあります。高圧技術
で重要なことは、静水圧性(どの方向にも均等に圧力がかかっている)の実現です。私たちは、静
水圧性を少しでも良くするためにピストン・シリンダー法という手法を用い、圧力媒体にフロリナー
トと呼ばれる液体を使っています。しかし、超伝導等の面白い現象が現れる程度の低温ではフロリ
ナートは固体になってしまい、静水圧性が悪くなってしまいます。それでもなお、ピストン・シリ
ンダー法は他の方法に比べますと静水圧性はかなり良いのですが、あまり圧力をかけられないこと
が弱点です。理由は簡単で、ピストンやシリンダーに使われる材料が高圧下で壊れてしまうからで
す。従って、この方法で圧力を高めようと思えば、良い高圧材料を見つけだすしかありません。高
圧の専門家達は最近新しい材料を見つけました。聞くところによると、この新材料はロシアの潜水
艦開発の過程で見つけられたということです。確かにこの材料を使えば圧力は上がりそうなのです
が、私たちの実験にとっては必ずしも好ましいというわけでもありません。私たちは磁性という観
点から自然界の物質の性質を眺めているわけですが、高圧下での物質の磁化を測定する場合、試料
と圧力セルの磁化を一緒に測っておき、そのあと、セルだけの磁化を差し引くということをやりま
す。セルの磁化が試料の磁化に比べて大きいと、私たちの実験には使えないのです。新しい高圧材
料を見つけたという点で大きな技術的進歩はありましたが、また別の困難が出てきてしまいました。
一方、より良質の静水圧性を追求しているグループもあります。フロリナートではなくヘリウムを
圧力媒体に使おうというものです。この方向での技術革新も近い内に達せられるかも知れません。
いずれにせよ、圧力誘起超伝導や絶縁体ー金属転移といった新しい物理現象を解明するためには、
まだまだ長い時間がかかりそうです。

§5.おわりに
  20年前、低温に関して非専門家であった私が、希釈冷凍機を使って絶対温度0.1度以下の測
定を行うことは不可能に近いものでした。希釈冷凍機を自由に使えるというので、院生時代にわざ
わざカナダまで実験に出かけたこともあります。しかし、今では希釈冷凍機は低温物理の専門家の
ものではなく、日本でもあちこちの大学で見かけるようになりました。(市販品が安く買えるよう
になっただけでなく、何処の大学も以前に比べて裕福になったのでしょうか。)ほんの数年前まで
は、高圧の実験というものは専門家だけの特殊技術でした。今では私たちのような非専門家でも実
験出来るようになってきているわけですが、低温の場合と違い、上述のようにまだまだ克服すべき
問題が山積しています。これら技術上の問題解決をなくしては、重い電子系物理学の進展はあり得
ません。技術革新と基礎科学の発展は同時に進行していきます。来る21世紀には、重い電子系の
みならず自然界に対する私たちの認識・理解がさらに深いものとなることを期待して、拙稿を終え
たいと思います。