クライオ原子間力顕微鏡の開発
物理J研 ○山本大輔、谷孝二、神山勉
極限基礎技術班 五藤俊明
1.はじめに
原子間力顕微鏡(AFM)は非常に柔らかい片持ち梁(カンチレバー)の先端に付けた鋭い探針で試料表面を 2次元走査し、ナノメータースケールの空間分解能で表面構造を解析できる装置で、広く生体試料への応用が行われている。AFMは非常に高い空間分解能を有し、しかも電子顕微鏡と異なり水溶液中での観察も可能であるため多くの生体試料(蛋白質、DNA、生体膜など)がAFMで観察されてきた。しかしながら従来のAFMでは試料を雲母等の固い基盤に吸着させねばならず、そのために起こるフラットニングと呼ばれる変形や、生体試料は室温で非常に柔らかいため探針との相互作用によって容易に変形してしまうという問題があった。そこで我々は-150℃以下の低温で生体試料を観察できるクライオ原子間力顕微鏡(cryoAFM)を開発してきた。低温下では生体試料は室温と比べて硬くなるため、探針との相互作用による変形が抑えられ、より高い分解能で表面構造を解析できると期待される。また、電子顕微鏡で用いられるフリーズフラクチャー、エッチングの手法をcryoAFMで行い、生体試料を基板に吸着させることなく細胞内に近い状態で観察する事を目指している。
2.クライオ原子間力顕微鏡の作製
我々のグループでは以前からcryoAFMの研究開発が行われてきた。低温でAFMは動作可能である事が確認されていたが、生体試料を観察するためには幾つかの問題が残されていた。主なものを箇条書きにすると
である。当時のcryoAFMの模式図を図1に示す。これらの問題を解決するためにcryoAFMの装置構成を大幅に変更した(図2)。写真1にcryoAFMの概観を示す。AFMにアルミ板を取り付け、そこから液体窒素に金属網を垂らす事で装置の冷却時間を短くした(-160℃まで冷却するのに約2時間)。図3に金属網を垂らさない場合と垂らした場合の冷却時間と温度のグラフを示す。金属網が液体窒素に接触している間は温度変化はほぼ見られなかった。装置の温度を一定に保つ事は安定に測定を行う上で非常に重要である。金属網を付けない状態(温度変化のある状態)では、1枚の像を得る間に約1℃の温度差があるが、この間に試料は約270nmのドリフトを起こした。これだけのドリフトがある状態ではナノメーター程度の微細構造を観察する事は難しいと思われる。それに対して金属網を付けた状態(温度変化が無い状態)ではほとんど試料のドリフトは見られなかった。
AFMでは高さ方向の分解能はノイズの大きさに依存するため、ノイズを減らす事は一つの要件となる。ノイズには大きく分けて電気ノイズと振動ノイズがあるが、そのうち振動ノイズは試料と探針の間の剛性を高める事で減らす事ができる。図2のcryoAFMの改造では機械を小さくまとめる事でこれを実現した。室温においては3〜4Åのノイズレベルであった。低温においては、金属網がないときには室温での場合と同程度のノイズレベルであるが、金属網がある場合は約1nmのノイズがあった。このノイズは、金属網の表面で起こる液体窒素の沸騰によるものであろう。
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図1.改造前のcryoAFM模式図 | 図2.改造後のcryoAFM模式図 |
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写真1.改造後のcryoAFM装置(左)と、cryoAFMをデゥワーに入れた状態(右)の写真。大きさの比較のためにシャープペンシルを立ててある。 | |
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図3.改造後におけるcryoAFMの冷却時間と試料部分の温度変化。金属網がないとき(a)には液体窒素がアルミ板から離れた直後(100分のあたり)から徐々に温度が上昇する。金属網がある場合(b)は長時間温度が一定に保たれる事がわかる。 |
3.低温での生体膜試料
生体試料は室温では非常に柔らかく、探針との相互作用による1nN程度の力で容易に変形してしまう。これは分解能の低下につながるだけでなく、正しい表面構造を得る事ができない事にもなる。水溶性蛋白質は-70℃以下の低温では室温に比べると1000〜10000倍硬くなるといわれている。生体膜試料も低温で硬くなる事を確認するために試料と探針間にかかる力(荷重値)を変えて測定してみた。試料にはバクテリオロドプシン(高度好塩菌の細胞膜に存在する膜タンパク質)を人工的に球殻状に集合させたもの(ポリヘドラ)を用いた。室温と低温で測定したものを図4に示す。室温ではポリヘドラが変形し、隣り合ったポリヘドラが融合しているのも見られる。低温ではより大きな荷重値にもかかわらず、ポリヘドラの形が保たれている。生体膜試料も低温で測定した方が探針との相互作用による変形を大きく抑えられる事が分る。
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図4.ポリヘドラのAFM像。一度スキャンした場所を再び同じ荷重値でスキャンした。a)室温。荷重値2nN。b)−133℃。荷重値15nN。 |
4.氷の昇華(エッチング)
cryoAFMでフリーズフラクチャー・エッチングを行うためにエッチングの部分である試料表面の氷の昇華をcryoAFMのデュワー中(冷却窒素ガス雰囲気中)で行う事を可能にした。電子顕微鏡では通常エッチングは真空中で行われるのだが、冷却窒素ガス中でも行う事はできる。そのために、サンプルホルダにヒーターを取り付け、熱電対で温度をモニターしながら制御するようにした(図5)。実際に試料表面の氷が昇華しているのを確認するために紫膜(バクテリオロドプシンが2次元結晶を形成している部分。通常、バクテリオロドプシンはこの状態で存在する。)を雲母表面に吸着させ、それに氷の粒を付けて昇華させた。図6-a)では一面氷の粒で覆われているが、-100℃で10分間処理すると氷の粒は全て昇華して紫膜を観察する事ができる図6-b)。図6-a)と図6-b)は同じ場所をスキャンしたものである。こうして実際に氷が昇華している事を確認した。次に、紫膜を雲母に吸着し、室温で乾燥させずに急速凍結した後、-100℃で30分処理して乾燥させたものを観察した(図7)。ここで観察された紫膜は室温で乾燥したときよりも膜の厚さが約6Å厚く観察された。おそらく紫膜を構成するバクテリオロドプシンのαヘリックスを結ぶループ部分が室温で乾燥したときには潰れてしまっているのが低温で乾燥したときには潰れずに残っているためであろう。
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図5.氷昇華用サンプルホルダの模式図と氷昇華の概念図。生体試料を吸着した雲母などの基板を板ばねでヒーター上に固定するようになっており、凍結した試料の取り外しも容易に行える。 | |
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図6.試料表面の氷の昇華。雲母基板に紫膜を吸着させた試料に人為的に氷の粒を付着させ(a)、それを−100℃で10分間処理した(b)。 | |
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図7.液体プロパンで急速凍結した後、cryoAFMデゥワー中で乾燥させた紫膜。−166℃。 |
5.まとめ
これまでのcryoAFMの作製で、cryoAFMの生体膜試料への適用が有効なものである事が示唆された。しかしながら、温度変化による試料のドリフトを防ぐために付けた金属網によってノイズが増えるという問題が残っている。この問題は装置の剛性を高める事で克服できると思われるので、現在装置の大幅な改造を行っている。まだ低温での測定には至っていないが、室温においてはノイズが減少し、雲母表面の凹凸が観察されるなど分解能の向上が認められており、低温においても分解能の向上が期待できる。さらに、フリーズフラクチャー・エッチングの一連の作業をcryoAFMデュワー中で行い、アーチファクトの少ない生体膜の微細構造を高分解能で測定できるようにする事も望まれる。